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  • 2014.11.17 Monday
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「新三銃士」:「初代」に、やはり思う

ゲームの方のポケモン最新作に、銃士インスパイアなポケモンが4体揃っているせいか、混線具合がハンパないです(笑)
いつにもまして、アトス・ポルトス・アラミスはもちろんのこと、デルブレーとかルネとか、アンヌとかコンスとかアラミスとかアラコンとか、妙にいろいろいたりする。
でもって、あの人形劇のアンチテーゼと解釈できるセリフがいっぱいいっぱいで、ほんとにうれしい。
楽しいです。


さらに今年の夏はフランスでダル&銃士三昧したうえ、人形展では素敵なアラコンをお腹いっぱいいただいて、幸せでありました。
濃い夏だったよ。


でもそれと同時にたっぷり素敵な人形展を見てしまったためか、光が強いから影もいっそう濃くなるというのか。
もう「あの番組」から何年も経ってるし、私は私なりにあの人形劇の作品に対してはアンチテーゼを持っているし、世の中には確かに「私は間違ってない」と思わせてくれるものがたくさんある。
そういうものをひとつひとつ、大事にして行こうと思っている。


だから、番組終了以来、もう言わずにいようとずっと黙っていたけれど、でもどうしても心のなかに棘のように刺さって、堂々巡りをしては、ふつふつと、気づくと沸騰していてやばい、このままでは私が爆発しそうだ、と思ってしまう部分がある。


未だ湧いては巡り、もやもやと嫌な気分を抱え込んでは鬱々と過ごす…というのが周期的に巡ってくるので、これはやはりどうしても譲れない部分なんだろう。
どう自分を納得させようとしても、見ないふりをしても、視界から追いだそうとしても無理なんだろう。


だったら、抱えていても身体にも心にも悪いだけなので、吐き出してしまおうかと思う。
あくまでも、あくまでも「意見の一つ」ということで、人様を否定するつもりはないというのは、どうかご理解ください。
そしてご勘弁を。



つまり、結論からはっきり言えば、「初代」っていう言い方が、すごく嫌なんだ。
本当はこの言葉、自分のブログでは使いたくないくらい、嫌だ。


「三銃士」って、アトス・ポルトス・アラミスのためにある、彼らにのみ許された名誉ある称号じゃないのか??
小説の『ダル物』『三銃士』と出会った高校の頃から、アトス・ポルトス・アラミスは紛れもなく「三銃士」であり、稀代のヒーローであり、英雄だと思っていただけに、あの人形劇で「初代」ってのが出てきたときは、「ちょっと……もう勘弁してよ…」ってのが第一印象の、思いっきり正直な意見でありました。


いや、でもね!
これでアトス・ポルトス・アラミスの、いわゆる本当の「三銃士」がきちんと、正面から真摯に描かれているなら、初代がいようが、別にどうとも思わなかったかもしれないし、何もここまで爆発しそうなもやもやを引きずることはなかっただろうさ。


でも実際まともに描かれているのはポルちゃんくらいなもんで、アトスはかろうじてミレディ補正が効いているものの、アラミスがどれだけひどいもんかってのは、いまさら説明の必要はあるまい。
アラミスに関しちゃ脚本家をはじめ、番組スタッフの卑屈なボナ的オヤジどもの、調子に乗った悪意の集中砲火を受け、さらには番組終了後の赤レンガ公演でダメ押しさえ喰らってる。

最悪だった赤レンガ。


あの赤レンガの公演さえなければ、私だってまだ、もう少しは温和でいられたかもしれない。
本当に、あの赤レンガの操演こそが、最悪の極みであり、ダメ押しだった。


まあともかく、「稀代の愛すべき英雄だ」と思っていた彼らが、それこそカバのポメラじゃないが「辛酸銃士」にされたうえ、さらに「二代目」「二番煎じ」のような扱いを受けるってのはもう、本当に屈辱的な気分さえするのだ。


「三銃士」はアトス・ポルトス・アラミスのための称号だと信じて二十数年間過ごしてきた自分にとっては、あんな酷い、オヤジ以下の扱いを受けたうえに、さらに「初代」までいるなんて、もうとんでもない話なんである。
「初代」と聞くたびに、屈辱的な思いが同時噴出するのである。
最悪だ。


アトス・ポルトス・アラミスの後に「三銃士」が続いても、前にいるってのは、とてつもなく納得がいかない。
「初代」じゃなくて「前座」とか「三銃士になり切れなかった連中」とか言ってくれれば納得したかもしれないし、まだすっきりしたろうに。


ただ。
誤解されちゃ困るので、改めて断っておけば、私はトレヴィル爺ちゃんもロシュもベルトランも、キャラ的にはそれぞれいいと思っている。
特に爺ちゃんなんて大好きだ。
アトスとベルトランの絡みだって、ジャリ銃士的な部分で結構妄想は尽きないものがある。
あの3人が昔仲良しだったってのもありだろうし、その辺のことは勝手にやってくれって感じだ。
ぶっちゃけ女絡みのエピなんて、私的にはどうでもいい。
「日本のポストが赤いのも、フランスのポストが黄色いのも、全部悪いのはリシュリューよ」的な、短絡的な展開に今更突っ込むつもりもない。


でも「初代」ってのだけは勘弁だ。


そもそも「初代」の部分なんて、ぶっちゃけ脚本家の創作の最たる部分だから、ある意味この部分に関しちゃもう『三銃士』じゃない、と言うことだってできる。
「だから“新三銃士”じゃないか」と言われようが、それ以前にもう、『三銃士』じゃない。
あんな卑屈な底意地の悪い『三銃士』作品があってたまるかよ。


てかもう、私的にはあの人形劇の脚本家&番組プロデューサーの面々には幻滅しまくってて、まともに解釈してやろうという気持ちさえ、もう起きない。
黒歴史だ。

なんで大好きな作品で、未だにこんなに苦しまなきゃならないんだろう。
なんですっきりできないんだろう。


…アラミスと「三銃士」が大好きすぎる自分がいけないんですか?
全部私が悪いんですか?
自分のせいですか…?
いやでも、…畜生、負けてたまるか。
公共の電波で人生否定されようが、ここで引いてたまるかよぅ…(´Д⊂ヽ!!


…とまあ、なんかそれくらい、思い詰めちゃうものがあるんですよ、「初代」って言葉には。


そんなわけで。
ちょっとここ数日たまりまくってもやもやしすぎたので、迷いに迷った挙句、やっぱり吐き出した。
すいません。


でも、やっぱりどう考えてもこの部分に行きつ戻りつするということは、結局カバ的には絶対譲れない部分のひとつなんだと思う。
毒吐きました。
でも、多分コレは、どっかで言っておかなければいけないことだったと、やっぱり思います。


「新三銃士」:愛宕山その2 〜やっぱり薄皮一枚まとってる〜

「辛酸銃士」。
いや、外出時の文書作成で大活躍のポメラなんだがね、「しんさんじゅうし」と打つと必ずこんな変換するのだな(笑)
よくわかってるな、お前。


ともかく、愛宕山に写真の撮り直しに行ってきました。

                

いや、だってほんとにあれだけ間近でばっちり撮れる展示はそうないですよ、多分。
大体の内容は「新三銃士」:愛宕山NHK放送博物館「新・三銃士の世界」偵察レポをご覧ください。


で、念のためにもう一度言っておくと、この愛宕山にあるNHK放送博物館の展示も、「外部」の方が設置からなにからなにまですべて行っているので、こちらもこちらなりに、愛情がこもってます。


ただ飯田の、あの素に帰ったような展示を見た後にもう一度こちらを見ると、やっぱりなんというのか、しがらみの薄皮一枚まとっているがうえの表情って感じにも見えます。


しかもこっちのコンスはなんか表情が暗いです。

       

どういう角度で撮っても、なんか暗いというか、コワイ感じもします。
遠景から人形の配置を見たうえで想像していただきたいのですがね、まあミレディとコンスの間に親父がいて、ミレディのスカートにまとわりついてるって感じです。


あと1回目の展示で見落としてて「うぎゃああ〜〜っ!」と思ったのが、これ。


            


アラミス画伯の、リシュリュー猊下の秀作の数々ですよ。
こんなに何枚も描いてたんかい(←違う)。
でも一人で黙々と、心のなかでほくそ笑みながら猊下の似顔絵をあれやこれやと、いや、コンスと作戦を立ててから、二人してこんな、あんなと猊下の似顔絵を仕上げていった様子を妄想すると、もう美味しすぎて悶絶です(笑)
「今度私の絵も描いてくださいね」なんて言われていたのか!?
うひゃほい。


また今回は展示パネルが結構おもしろくて、ほかにもトレヴィル・ベルトラン・ロシュ&猊下の若かりし頃のスケッチなんかがありました。
若かりし猊下と、その丸くなる変遷。


                  


「笑顔がまぶしい青年」変遷図もあったんですが、いやあ、これは結構すごいね(笑)
個人的には左真ん中の写楽顔が結構インパクトある。
というか、コレを見てたらなんかアラミスの将来が一瞬心配になったよ、自分としては。
ただこの一連のあたりが思いっ切り、馬のおケツに邪魔されているのですな。


       


しかも、よりによって「ロシュの馬」……(苦笑)


剣術少年変遷の図。

             


あとはドミノ倒しのシーンの、あのピタゴラスイッチのような設計図もありました。


そういう意味では、飯田とは全然違った系統の展示です。
設定資料なんて、ほんとに「外部」ならではでしょう。

結構気に入った1枚。

                 


このアトミレの視線も、結構絶妙ですな。
ミレディ、足元に親父のタックル喰らいながらこんな表情ができるのは、さすがだね。

ポルコク。

         

   

なんと、手乗りポルちゃんでした。

というわけで、こちらはやはり記録用&資料用としての用途の濃い展示でした。
まあまた大きなお休みに入ったら風に当ててやってください。


「新三銃士」川本喜八郎人形美術館「新・三銃士」展:素直に、安らげる場所

長野県飯田市の川本喜八郎人形美術館でやってる「新三銃士」特別展に行ってきました。
るい隊長のブログにもレポートが上がってますので、概況とかはそちらをご参照ください。
飯田の町のこととかも含めて、こちらでは感情丸出しで行ってみようかと思います(笑)

      


ともかく、行くか行くまいか迷いましたが土曜日に弾丸日帰りバス旅行に挑みましたよ。
往復10時間(渋滞含む)、現地滞在時間約4時間。


でも行ってよかった。
行かなかったら後悔したと思います、間違いなく。
特にアラコンな方々、期間は8月一杯なのでもうあと数日しかないですが、休みが取れるなら弾丸する価値ありですよ、絶対。


…なんて言うと、浮いた浮いたな感じになりますが、でも実際、本当に素敵な展示でした。


写真禁止で映像がないのですが、人形を知り尽くしている美術館のプロならではの、絶妙な配置と紡ぎ出された世界が静かに佇んでいました。
プロが心を込め、愛情を持って扱うと、こんなにも雄弁で素晴らしい展示になるのか!というほどに、“世界”がキラキラと溢れ出てくるような空間でしたよ。
「人形美術館」の面目躍如というのか。
すごい。


また人形たちの顔が、本当にどれもこれもはっと見違えるほどに、陰も陽も含めて本当に素直です。
なんというのか、例えばしがらみから解き放たれ、本来の、あるべき姿に戻ったのかと思えるほどに、実にみんないい顔をしているんですよ。
ライトの加減も、人形の配置もまた絶妙。


ざっとこんな感じ。


        



アラミスの背中を見つめるコンスの目がきらきらうるうるしていて、本当に綺麗な表情をしている。
今まで見た展示会のなかでは一番いい顔で、これが素のコンスなんだなぁ…としみじみくる可憐さでした。


そしてその視線を知ってか知らずか、振り向きたいけどどうしようかと思いながら平静を保ちつつ職務に邁進しているかのような感じのアラミスが、またいい。
いやもう、本当に絶妙なライン&表情の、この二人をどう説明すればいいのやら(泣笑)


ちなみに図の「惑星直列」ってのは、つまり猿の位置からアラミスを正面に見ると、オヤジがすっかり隠れて見えなくなり、また猿も小さいから、視界が完全にアラコン二人の世界になるんですよね。
切り取って持ち帰りたいような、なんとも言えない世界です。
はうううう。


アトス、ミレディ、ロシュの配置はるい隊長のブログにも詳しいので。
カバ的に感動したのは、ミレディの足に張り付いてるケティの瞳が、いい感じにキラーンと輝いていることでした。
赤い瞳がね、宝石のようです。


本当に去り難い空間で、何度も行きつ戻りつでした。



またわずか4時間ばかりの滞在で感じた飯田の町は、フルに想像力を働かせて巡る町でした。


観光的キャッチコピーは「人形劇のまち飯田」。
人形美術館がやはり目玉です。


ただ、観光案内所で聞いたところによると、本来飯田市は、飯田城を中心とする城下町で、武家屋敷や蔵などがひしめき合い、また江戸時代から続いた養蚕・製糸で明治時代は大いに栄えたとか。
それが1947年、日本史上第2位といわれる大火で町の約7割を、焼失してしまったそうです。


今の町には城はもとより、城下町や養蚕で栄えた面影はほとんどありません。
見事なまでに焼けてしまったのが分かる。
何も知らなければ「人形美術館以外、なにもない町」で終わってしまう。


戦争を生き抜いたのに、でも大火で町の歴史を示すもののほとんどを失った町の人たちにとって、未来へつなぐ歴史遺産は、それこそ江戸時代から続く人形芝居の伝統だったのかも。
だから「人形」「人形劇」は飯田の誇りでもあるのでしょう。


そんな町で、こんなに素晴らしい展示をしてもらって、新たな“人生”を歩み始めた彼らは、すごく幸せかも。
いい嫁ぎ先が見つかったというか、素直に、素の姿で生きられる安住の地を得たというのか。
なんつーか、都会から田舎に嫁に出した娘が心配で様子を見に行ったら、嫁ぎ先で大切にされていたうえに、都会の垢も落ちて素直な素朴ないい表情で幸せそうに暮らしてた、って感じでしょうかね(笑)


ともかく。
「飯田の誇り」を信じて、また特別展が開かれた時に、会いに行こうと思います。
ええ、ほんとに。


追記>
カバ的には喜八郎先生の「三国志」「平家物語」はもちろん、ムウ君、ババヤガーなんかにもとても感動いたしました。
こちらはいずれ本家のほうで上げる…予定(弱気)


「新三銃士」:愛宕山NHK放送博物館「新・三銃士の世界」偵察レポ

なんだか銃士とバレエのイベントが日々入れ替わり立ち替わり発生して、混線状態をすでに通り越しているカバでございます。
マジ脳味噌3つくらい欲しい。
…ルチ将軍はヤバいが。


てなもんで愛宕山のNHK放送博物館「新・三銃士の世界〜人形劇の歴史〜」の偵察をしてきました。


       


愛宕山の博物館自体、そんなでかくないことはわかってたし、その程度の規模のもんだろうと思ってたんですよね。
ならばバレエ見る前にさっくりと、と思ってたのが甘かった。


狭い部屋にみっちり42体!


         

結構濃密ですよ、それなりに。
猿猫、タレント系以外、メインはほぼ揃うという内容です。
脇の市民の方々や大道芸人の方々などかなりの数だと思います。
でもって、写真撮影もできる。


ええもう、カバ的お約束のアラミス様。


        

やっぱりどの角度から見てもいいです♪


                    

市民さんのまつ毛がすごくて、ついどアップ


                   

隊長VS猊下の写真は、個人的にこれは結構気に入りました。
カメラ激しょぼでも、なんとかなるもんだ。


         

写真に関しては今までの赤レンガ等々と比べたら、かなり撮りやすいですね。
閑散としてますし、ディティール観察にはうってつけかもしれません。
もっとしっかり時間取って、ちゃんとしたカメラ持って行けばよかったと後悔しました。


当然ながらセットはありません。
小道具も赤レンガとどの程度かぶっているのかわかりませんが、あのスペースに対して、それなりの数はあったと思います。
トレヴィルじいちゃんの鎧に結構萌だったんですが、これは赤レンガにあったかしら?
写真でなんとなく状況を感じていただければ。


      


企画の際のラフ画のパネルも何点か。
この辺りは一部馬のおケツの影になって見づらかったんですが、でも意外と面白かったです。


ラフ画は最終回の剣術少年、トレヴィル・ベルトラン・ロシュ&猊下の若かりし頃、タレント人形のラフ、ルイの鎧&騎馬姿、トレヴィルの鎧姿、キョーフの婆さんなど。


最終回の剣術少年は、やっぱりダルの顔からデザインを重ねて、最終的にあの顔になった変遷がラフ画で見られます。
デフォルト・ダルをさらに一層生意気な顔にしたり、巻き毛っぽくしたり、かわいくしてみたりと、いろいろ苦労された様子が伺え、結構これは面白かったですよ。
でも私はこの金髪少年、絶対マンステールさんの息子だと思ってるんだけどな。


またタイトルが「人形劇の歴史」ゆえ、チロリン村、空中都市008、猫じゃら市、ひげよさらば、プリンプリン物語、紅孔雀の一部がまとめてどーんとありました。
また展示室に向かう途中ルートにはひょうたん島、ブーフーウー、ゴン太くん、出口付近には「にこにこぷん」がありましたね。


ただどれもかなり痛みが酷くて、チロリン村はなんだか人形というよりも、すでに恐ろしげな物体で、008も夜中に髪の毛が伸びそうなくらいコワイ感じに。
ヨゴロウザも穴だらけでかわいそうだった。
昔の人形だからしょうがないとはいえ、やっぱり保存は難しいのかしら。

ちなみに受付の方のお話によりますと、今回展示してある「新三銃士」の人形は全て外部(ノーヴァ?)からの借り受けで、NHKの所有物ではないということ。
「NHKに何点か寄贈されたのでは?」と突っ込んでみたのですが、「詳しいことはここでは分からない。ただ、今回飾ってあるものは全て外部のもので、設置も全て外部の方がやられた」ということでした。
寄贈の真偽についての続きは、興味のある方お願いします(笑)


でも「外部の方」が設置したからこその濃密空間なんだと納得。
やっぱり、人形は大事にされています。
そういえば、タレント人形はタレント達(脚本家含む)が各自持ってったそうです。
別にこれは聞いてないけど教えてくれたんで、一応。


というわけで。
短時間偵察とはいえ、誰もいない貸し切り空間でこれだけの人形たちと対峙してきたので、それはそれで満足。

でもって展示を見ると、ミレディにゴミ親父が相変わらずまとわりついてるので、これはきっとアラコン復活もありだと妙に確信してしまったし、コンスはいずれアラミスの子供を産むんだろうな、なんてことも、部屋に入って見た瞬間、漠然と感じてしまいました。
ええ、とてつもなく勝手な直感というか感想というか妄想ですが(苦笑)


でも。
とはいえカバ的には続編なんてもう「三銃士」の黒歴史の上塗りになるだけなので勘弁だし、それ以上に何よりも、あの脚本家には金輪際、「三銃士」には二度と触れてほしくないと心底思っています(今だから白状すれば、一時N…に対しては消費者的にある形で抗議してた)。
あるもの・生み出されたものはカバ的に受け入れても、脚本家がアレである限り、これ以上はいらない。

でもお人形さんはこうして時々風に当てて、「相変らずだなぁ」とにんまり妄想させてくれればウレシイです。
やっぱりね、このお人形さん達は素敵です、ホントに。

あ、見学ついでに愛宕山の真骨頂を体験してみたいなら、御成門駅から愛宕神社を抜けていくルートをドウゾ。
同じレベル上なので、博物館は神社抜けたらすぐです。
出世するかもよ(笑)


新三銃士:銃士の国のオーケストラと聖歌隊のアラミス

仕事だ、ポケノブだと、そっちにかまけていたら、凄まじく更新してませんでした(滝汗)
2カ月経ってるww
もう忘れられてしまったかもしれんが、地味に語っておこう。


●銃士の国からオーケストラ


いや、有楽町でGW恒例のラ・フォル・ジュルネ(LFJ)なるクラシック祭りが始まってましてね。
1500〜2000円、場合によっては無料という、超格安なうえ、マニアックな、普段の興業コンサートではまず聴けないような演目もてんこ盛り。
演奏家も将来期待の若手やオーケストラなんかが来るので毎年大騒ぎのイベントです。


で、今年は「ベアルン・ポー管弦楽団」が来てましてね。
指揮者はキャピトル・トゥールーズ管弦楽団でキャリアを磨いたという、銃士の国縁のオーケストラだったわけですよ。
まあそれだけのことで、別に銃士服を着て演奏してくれるわけでもないんだけど、「銃士の国からオケが来てる」という、それだけでうれしくなってチケット取っちゃうのであります。
でもフランスの観光局の方も「ベアルンだから取ってみた」と言ってたから、そういうのもアリだ。


しかしながら。
残念ながら予定していたピアノ協奏曲のピアニストが急病で来日できなくなり、また国際フォーラムのAホールは5000人規模とどでかいばかりで、いまいち音響が悪い。
代役のピアニストは悪くはないが、「協奏曲」としては先走り過ぎで、ぶっちゃけボロボロだったのだな。


まあ、彼らもポーの観光客を集めまくったって、それより人の多い東京で、また5000人規模ホールの演奏なんてのも滅多にないだろうし、音の出し方の感覚が狂ったのかもしれん。
東京の滞在を楽しんで帰って、また来年リベンジしてほしいわ。


●アラミスは歌うか


それより今回のLFJの目玉の一つは「モスクワ司教座合唱団」。
ロシア正教の聖歌や民族歌曲なんかを歌ってくれたんだけど。


こちらは感涙モノの公演だったのだが、ここでのお題は演奏じゃないんだ。


墨染のロシア正教の僧服に身を包んだ男性12人の合唱団なんだけど、ロシア的に丸いのとかデブいのとかボンレスハムみたいなのとか、河童頭の苦行僧みたいなのとか、Aチームのハンニバルみたいなおっさんなんかの群れに混じって、一人だけ、輝くイケメン君がいるわけですよ。
ゆるい肩までの巻き毛に横分けウエーブで、一人だけ突出して背が高く、また細面……。
もうね、一人だけ光背輝いちゃってる。


で、こんなオイシイ状況で妄想するなという方が無理。


アラミスも、多分修道院にいたときはお祈りとかミサとかで聖歌なんか歌ってたに違いない。
どうしたって一人突出してイケメンだから、その頃はきっと女性のミサの参加率が高かったに違いないのだ。
原作アラミスとか、特に韓流ミュージカルのアラミスなんかは女性と目が合えばニコッと笑って…なんてやってるんだろうけれど。


人形アラミス先生なんてのは、そういうことに気の回らない朴念仁だから、淡々と歌ってたに違いない。
朗々と、淡々と、なんというかアナウンサー的にソツのない声って感じ??


でもアトポルとか、銃士仲間の馬鹿騒ぎな飲み会で歌うことはないから、アトポルなんかは、「奴は歌えねぇ」と思ってるかもしれん。
で、実は教会では歌う、ということを知って「あの野郎〜〜俺たちとは歌えねぇってか〜!」とか思ったりするんであろうさ。
なんかその辺りも考え始めると止まりませんのです(笑)


ちなみに17世紀のフランス音楽は後半の、20年後とか3部の時代にフランス・バロックとして花開くけど、「三銃士」の時代はまさに古典からバロックへの移行期。
古典時代を引きずった、オーソドックスな讃歌がまだ歌われていたんだろうなぁ。
いや、それはそれで面白い。


「新三銃士」:銃士独り占め

考えてもいなかったし、想像もしていなかった。
不意打ちだ。
何でお前らここにいるんだよww


                    


「新三銃士」山本サトシ氏コミカライズ:表現はメディアによって違うものにて

とりあえず山本サトシ氏コミカライズの「新三銃士」読んだ。


ボロクソ&けちょんけちょんに言われたノベライズに比べたら、格段によい出来だと思う。
山本氏はやっぱりキャラに愛情注いで描いているってのがわかるし、見ていてそれが伝わってくるところがありがたい。
脚本家の底意地の悪さを思うと、本当に気持ち良く読めて、かっこいいアラミスには楽しませていただきました。


でも何だろう。
山本サトシ氏自体はポケスペとかの仕事っぷり見ている限りは、本当にプロ根性しっかり持った漫画家さんだと思うし、私も好きな作家さんではあるんだが。


どうしてもセリフと絵が一致しないでツルツル滑ってるってのかな、漫画として引っかからないってのかなー。
セリフと絵の一体感がないっていうのか。
「読んだ」というより「めくった」という感じだった。
脚本家「冠コミカライズ」による制限なのか、限界なのか。


人形劇、舞台、漫画、小説と、やはり表現方法はそれぞれ別物で、脚本いうかシナリオを単に移植したって面白くないってことか。
脚本家の「冠」作品として制限かける限り、限界というか、コミカライズしようがノベライズしようが「より面白くなる芽」はその時点で摘まれてる気がするよ。


「ボナシュー・ジャンプ」をこれっきゃない!!みたいに相変わらずフューチャーしているのは却って哀れさすら感じるが、あれだって人形劇だから驚いただけであって、漫画じゃ正直全然、フツーってか「だから何?」って感じで、面白くもなんともないわ。
つまり吊り橋の谷をジャンプで越えるくらい、「漫画」じゃ全然当り前で、漫画で度肝抜くならドーバーくらいジャンプで越えないと面白くないってことだ。


それより各話の間に挟まってる銃士時代のパリ、原作と人形劇の違うところ、銃士ってなんで「銃士」っていうんだ、史実のリシュリューやルイ13世ってどんな人とか、ルイ王朝時代はバレエがすごかった!なんてコラムがそれなりに面白かった…いうか、とりあえず学習漫画としての面目を保ってた感じがする。
こういう仕掛けで来たか。


とはいえ「実際の三銃士ってこんな話」の辺りは…誰か編プロか出版社に入れ知恵した??(苦笑)
…ってのは冗談としても、「原作のアトスはアラミスのような性格」なんて、どこの同人誌のチラシの裏ww(苦笑)
私は原作読んでるが、人形アラミスはアトスのような性格だなんて思わなかったし、アラミスはアラミスだ。
アトスファンだって、あの程度のアラミスの性格でいいんですか??とか逆に聞きたいわ。
そんなに脚本家にズタボロにされたかったか?
白アラミス=アトスだなんて言われたって嬉しくもないだろうに。


いずれにせよ、これは読み手それぞれによって違う部分であるからして、確定項のように一種「公式」で言って欲しくなかったね。
ったくどういう人物に書かせたのかわからんが、失礼な話だよ。
ホントに、原作が絶版なのが口惜しい。


人形劇最終回後に「もう『三銃士』なんて見たくもない」という、ブログを通じて知り合った十代のお嬢さんの悲痛な声がありましたし、おそらく彼女だけじゃないだろう。
原作ファンの私だって少なからずそう思ったくらいだから、気持ちはとてもよくわかる。
だからこそ、「本来の三銃士ってのは…」とアプローチすることで、とりあえず「三銃士」という作品を、微々たりながらも救ってくれたような気はします、チラシの裏は余分にしても。
学習雑誌らしい編集でした。


まあ、そのコラムについて。
私的に大いに引っかかった…というか「これを書いてくれたか!」と思ったのは、「ルイ14世時代のバレエ」と「糞尿散らかる汚泥の都・パリ」。
この2つは思いっきり!!こだわりのあるところなので、いずれ機会を見てまた。


いやもうね、銃士の時代はもちろん、19世紀半ばまでパリは不潔極まりない糞尿の都だったんだ。
同時代に百万都市だった江戸のリサイクル社会と比べたら、雲泥の差。
この糞尿の都と近代化と印象派の登場ってのは密接に関係があって、その経過いうか過程がホントに面白いし、因果関係が見えてくると、旅行も何倍も楽しくなるんだよ。


ってなわけで。
物語を読んだらその背景や風俗、その国の言葉とか知りたくなるのがお勉強というもの。

興味を持ったら調べて、そして見に行け。
これからの世の中生き抜くのに必要なのは、偽ダイヤと本物のダイヤを見極める目だ。
そしてそれを培うのは「経験」「体験」の積み重ねしかないのであるよ。
話が逸れたような気がするが、以上。


「新三銃士」:ガクマンプラス版の表紙と来るべき(??)モブシーンで

「ポケットモンスター・スペシャル」のサイト「制作秘話」のコーナーで、山本版「新三銃士」単行本の表紙が出てます。


http://family.shogakukan.co.jp/kids/netkun/pokemon/official/

アラミス紫系なんて、高貴でよろしいよ(#^.^#)
2回失敗したアラミスってこれ??
イイ男で嬉しいっす!


で、このあとどうも「単行本記念」っつーことで、ポケスペのモブシーンに、どっかで見た銃士やポケモンコスプレ(??)の銃士たちが登場するかも…!?という話。
これはポルトス・ベロベルトもアリ!?
期待しちゃうじゃないか〜♪
一粒で二度おいしいなぁ、私的には!


ただ、ポケスペのコミックスはようやく今、プラチナ編が始まったばっかりなので、銃士モブが期待できるブラック&ホワイト編は、プラチナ編の終了と、さらにハートゴールド&ソウルシルバー編の終了を待たねば単行本化されないでしょう。
何年先だよ!


つまりこれは、速攻確認したかったら、小学館の学習雑誌を買えってか!?
小学4年生、コロコロイチバン、ポケモンファンを…(^_^;)
ガクマンプラスも、書店員の目を見ずに買ってた自分には、試練三倍(苦笑)


いや、ポケファンはいい。
特別配信のニュースとか載ってるし、こういうことなら、これは買ってもいいさ。
コロイチはビミョー。
小学四年生は…ズヴァリ、小学四年生の姪っ子に差し上げるということで、入手理由(ルビ:イイワケ)はできるが。
ポケモンのトコだけ切りとった雑誌渡したって、怒られるだけだろうなぁ〜(^_^;)
むーん、困った。


新三銃士:悶々晴れ晴れスッキリ!!&「真夏の夜の夢」妄想

今日はヨタ話ですが、話題を投げとくというか。


●祝!・悶々晴れ晴れ記念日!!


この「新三銃士」が終わって…というか後半始まってからですから、かれこれ1年半近くになりますか。
どうしても、根本的なところでどうしても納得いかずに、それが心の重しとなって悶々としていましたが、ようやく今日、5月27日、その悶々が晴れました。
ああ〜長かった!
もう記念日だよ、これ!


要はあの脚本家が「一応大人であり社会人だ」と思っていたことが、そもそも大いなる間違いだったということに、このほどの離婚騒動で気付き、また確信することとなったわけで。


いや、まず最初に断っておくと、脚本家に限らず、人様の離婚にはま――ったく、興味なんてないんですが。


ただTwitterでフォローしている人のなかに、その脚本家のディープなファンというか信者がおられたようで、勝手にいろいろ入ってくるんですね、情報が。
しかもご丁寧に情報ソース入りで。
で、その方はウザイくらい語ってる(かなり勝手な男の意見)。


自分に興味のない話題が流れてくるのはTwitterの宿命だし、逆に自分もやってることだからお互い様なんですが。
でも結局これで、いろいろ知る羽目になったというわけです。
これもきっと銃士のカミサマのお導きだったんだ!!


つまりだ。
「心は少年の〜」なんてよく形容されるけど、とんでもない!
自分にしか興味のない、ボクちゃんというか、赤ん坊だった。
だもの、女心なんて分かるはずないし、書けるはずもないのだ。
奴は「女優・小林某」が好きなのであって「人間・小林…」ではなかったんだな、きっと。
(あの朝日新聞のコラムはサイテーだ。 ああいうペラペラ酔った男は大嫌いだよ)
だからこそのあの顛末で、コンスが男に都合のいい、わけのわからんキャラになってしまうのも当然なんだ。
てか子供(ガキ)に教育TVの脚本なんて書かせるんじゃねーよ、NHK。

また本人も頭いいように見えるけど、そして確かに頭は…というかお勉強はできるんでしょうけど、例えて言うなら「小学5年生が大人の小説読んで知識だけは溜めこんだ」って感じがする。
でも社会常識が小学生なうえ、悪戯心というか悪知恵はメチャメチャ働く。
だから、小学生のいじめのような脚本も平気で書けるわけなんだろう。


自分の脚本の世界では、登場人物の気持ちを小手先で計算して、自分の望む顛末に持っていけるけど、女房の気持ちも分からない奴だから、人の気持ちも分からない。
芝居小屋はつまり、その作品のファンだけが来る場所だから、結局裸の王様。
裸の王様はそれで満足しているから、「世界」は必要ないのだろう。
当然輸出作品に仕上げるようなエスプリやウィットなんて「何それ美味しいの?」状態だろうし、日本がマジで軽蔑されるエピも(女奴隷顛末もその最たるものの一つ)、平気で良しとするわけだろうな。
結局「皆様の受信料」かけて作品作っても、ありきたりの首飾り事件までという、半分しか商品にならない、と。
何故kabaのアンテナにこの脚本家が引っかかって来なかったのかも、すごくよく解った。


ともかく、だ。
「ボナコンの離婚→おっさんカナダ行き、コンス&アラミス結婚」
もうこれは確定だ!
今ホントに、堂々と胸張って言えるよ!

賢い女(コンスタンス)は、偽ダイヤなどありがたくもなんともない、ということだ。

オヤジは船倉に詰めて送り出してやる!
もう気なんか使わないぞ!


ともかく。
長かった1年半の苦悩&悶々ゆえに、これはちゃんと自分のためにも総括してオトシマエ付けないとならないので、また後日改めて書きます。
ああ〜でも、ホントに晴れ晴れだ〜!!


そして。
私は間違ってなかったぞ〜〜!!(ダンダン!!)
自分の感じたこと、信じ続けて良かった…!
何より、これが嬉しいよ…!!



●「真夏の夜の夢」


新三銃士&ヨタ話:コンスの山と来るべき単行本

Twitter見てたら山本サトシ先生の描き損じコンスを発見。
描き損じとはいえ、プロの画像うっかり貼って著作権に抵触したらイヤなので、リンク 貼っときます(笑)

納得行くまで描こうとする(多分)熱意がスゴイ。
ちなみにアラミス先生は2回失敗されたそうです(…とご本人から直接RTいただいて嬉しい限りv)
単行本の準備中なのでしょうか。


単行本…楽しみ半分、恐怖半分。
とにかくこの「新三銃士」の制作者(というか脚本家とNHKか?)は、迂闊に信用してはならんのだ。
なんせ今までこの「新三銃士」には、赤レンガと言い、本といい、番組が終了してからも何度も何度も裏切られ、気持ちを踏みにじられ、傷口に塩塗られてきたからなぁ。
いい加減こっちも学習するさ(-"-;)


ただ「ガクマンプラス」版の単行本は、大好きなポケスペの作者が絡んでいるだけに、本当に今回またドツボに叩き落とされるようなことになったら、本当に立ち直れないかもしれない(でも這い上がってくると思うけど)。
まあ、漫画に関してはガクマンプラス見た限りでは、とりあえずOKなのだけど。
山本アラミスもカッコイイしv
底意地悪い脚本家や制作スタッフが余計なコトして、妙な追加とか、横やりとかが入ってなければいいなぁ。


せっかく脳内妄想でオヤジを新大陸に追っ払って、なんだかとってもシアワセ気分になっているので、できればもう「新三銃士」関連はこの単行本を最後に放置してもらってもいいと思うわ。
いや、出るとやっぱり目が向いてしまうのは、哀しい銃士ファンの性なのでありますゆえにねぇ(T_T)
業とはこういうことを言うんかね(苦笑)


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