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- 2014.11.17 Monday
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帰国後、もらった資料やらネットやらで調べてみたが、やっぱり聖パテルヌ教会は1770年築だ。
んもう、デュマ先生ったらおおらか過ぎるわww
アラミスは時を駆けたのか。
100年先取りしていたのか(さすが!?)
本当に大笑いであります。
でもまあ、歴史物とはいえ創作のフィクションだからして、100年時間軸がずれていようが、それは良しとしよう(笑)
確かに聖パテルヌ教会はあり、その裏側にはお館らしい建物もあったことだしね。
ともかく。
ちょっといろいろ補足など。
アラミスの「お気に入りの教会」の名前になった「聖パテルヌ」は、5世紀に初めてこの町、ヴァンヌの司教になった方。
つまり5世紀にはやはり教会(らしきもの)があったということになる。
その教会がサン・ピエール教会かどうかはともかく(でも多分そうだと考えるのが自然)、有名な司教を輩出した町であることに間違いはなさそうだ。
由緒ある町なのです、ヴァンヌ。
またこのヴァンヌを含むブルターニュの辺りはブルトン人、ヴァイキング、フランス人とさまざまな争いもあったようで、大聖堂も何度か破壊されているという。
アラミスがお勤めした大聖堂は何度目かの再建によるもので、最も古い部分は15世紀のもの。
以後増改築が繰り返されて、今の格好になったようで。
特に主祭壇と後陣の部分は形は昔からあったとはいえ、19世紀にだいぶいじられているようだ。
19世紀の修復というのは、当時のスタイルでキレイにしてしまう修復法だったから(てかもう修復とはいえない)、原型をどれだけとどめていたかは、かなり不明瞭。
右翼左翼の辺りが、アラミスがいた頃(笑)のものだったりするわけですね。
てかもう聖パテルヌ教会からしてワケワカメな年代設定だから、もう後陣がいつのものなんてどうでもいいんだけどさww
それより一昨年にベアルン、昨年夏にベアルンとガスコーニュを訪れ、今回ヴァンヌへ来てみて思うのは、やっぱりアラミスは情報網をしっかり持ち、それをフル活用していたんだなぁということ。
てか、情報ってのはそれを必要とする、あるいは理解できる者でないと意味をなさないわけで、きっとアラミスもそれを巧みに使い分けていたに違いない。
だからこそ「情報が多い=秘密が多い=ミステリアス」なのだ。
そして地図をしげしげと眺めるにつけ、「ヴァンヌ」という立地がね、なんかすごいよ。
海を辿ればフランスバスク、スペインバスク――フランス・スペイン国境付近からビルバオ辺りですが、つまりはイエズス会の本拠地まっしぐらなわけです。
当時の交通事情を思えば、道の悪かった陸を辿るより全然早い。
ベアルンを訪れた時、アラミスは絶対に峠の民の情報網を持っていたに違いないと、もう勝手に妄想しているわけだが、その峠の民の情報網だって、陸路から海路を取った方が明らかに早いだろう。
海の道、峠の道、使えるものを駆使して頭を巡らせ、壮大な計画を練っていたのかと思うとね、ホントにすごい奴だなぁと思うのですよ。
しかも「三銃士」時代から、最初はベアルン辺りの峠の情報網(コミュニティ・ネットワークと言うべきか)を背景に持ちつつ、年代を経るとともにそれを着実に広げて、いつしかイエズス会という強大な組織の情報網をも手に入れていったのかと思うとね、ミステリアスで当然だし、秘密が多くて当然だし、根本的にもう考えてることのスケールが全然違う。
ただの銃士じゃない。
ゾクゾクしますね。
しかもイケメンだ。
楽しすぎるw
常々アラミス中心のアラミスファンとしては、ダルタニャンという、アラミスの最大のライバルになる男がショボイ奴では困る、という視点でダルを見てきたわけだが、こうしてアラミスの設定なんかを考えてみると、ダルにとってもライバルになり、かつ友情と「コノヤロー」の複雑な感情の間を行き来する男がチンケな奴では困るだろう。
てかショボイ奴に勝って喜んでるようなダル、あるいはアラミスなんて見たくないでしょうが。
そんなわけでも、デュマ先生、建築時間軸がテキトーとはいえ、やっぱり彼なりに「アラミス」「ヴァンヌの司教」という設定に、重きを置き、意味を持たせていたのかなぁと思った次第です。
いやいや、面白い。
実に面白い。
体感してこそ得られる、このリアリティ。
本当に妄想止みませぬわ(笑)
アラミスとヴァンヌの考察、興味深く拝見しました。私も現地を訪ねたときは海岸線から町の中心までひたすら運河が掘ってあるのに気付いてワクワクしました。さすがアラミスです。
銃士の足跡を辿る旅の醍醐味ですねえ。